南足柄 クリスチャン 20代 二児の母 日々のレポート
母

私の母は、この私が言うのもなんだが、クレイジーである。

私が幼いとき、突然髪をベリーショートにしてきたことがあり、大袈裟でなく本気で「私はこれからどうやって生きていけば良いのだろうか」と絶望し、泣いて大暴れしたことをよく覚えている。大きなショッピングモールの駐車場で係の人がタラタラと交通整理をしていた時には、代わって交通整理をし始めてしまい、家族一同大激怒。そんな伝説は色々とある。

どこにいても基本目立つので、どうにかこの存在を目立せないようにと、こんな人にはならないようにと、普通の人を目指してここまできた

はずだった。しかし今や私も相当な変人であることがわかった。普通を目指していたはずなのになんという皮肉か。私のほうがひょっとしたら相当クレイジーかもしれない。自分を知れば知るほど、母と似ている部分が沢山あり、母の霊が乗り移ってるのではないかと鳥肌が立つ瞬間が2週に1度ある。

そんな母と、結婚してから距離を置いていた。新たなスタートを切ったので、必要な時間だったと思うが、一方で、結婚してからやたら構ってくる母を、面倒だと思うことも多かったため、ほとんど話すことはなかった。

しかし最近ふと、神様にあってならば、母との関係をまたスタートできると思った。なので、最近は夫と3人で食事をすることが増えた。夫にとっては義理の母であるけれど、神の家族として助けてくれている。二人の会話を見ていると、神の家族なのだなあと心が温かくなる。

母59歳のバースデーフレンチ。帰りに夫が母のために祈っている中で、「感情が豊かな人ゆえに〇〇」と言った。私にも同じことを祈ってくれたことがあった。この性質を私は「感情的だからだめだ」と弱さとして捉えていたけれど、良いものでもあるのか、と驚いた。そして、これを大切にしていこうと思った。

同じ性質があるゆえに、私が乗り越えた経験を持って励ますことができたり、客観的に自分を見ることができたりする。私も、これから生まれてくる息子をそうやって導いていくのだろうか。

前に教えてもらったことがある。「親から受けている性質はあるけれど、それに向かって成長しているんじゃないよ。私たちはそこから聖化されていくんだよ」と。その大きな希望を忘れずに、母との関係を大切にしていこうと思う。