南足柄 クリスチャン 20代 二児の母 日々のレポート
握るか、手放すか。
握るか、手放すか。

握るか、手放すか。

わたしはいつもあれこれ思ったり、考えたりしている。

人のことや自分のこと。問題や理想を。

でも自分から出てくるものには本当に希望がなく、どんなに頑張って思ったり考えたりしても、その行き着く先は虚しさや悲しみ、苦しみ。あるいは開き直りしかない。

だからまた思って考えて、どうにか希望のある答えを見つけようとするけれど、やっぱり神なしの思いや考えに光はない。

唯一、神の言葉で考える時だけは、平安と希望を得る。

私は2児の母にもなって、家庭に入って、それでも暇なのだろうか。最近もあまりに思うことや考えることが多かった。

でもやっぱり虚しさや悲しみしか生まれないので、これを神に話すことを始めた。

夫に問題を話す時、大体、9.9割、「それをまず神に話したら」と言われ続けてきたのを思い出したのがきっかけ。

「わたしはいつまで、自分を敢えて苛むようなことを続けるのだろうか」。御霊の助けでそんな思いに至った。

何か思ったり考えたりを始めたら、それを手放して神に話す。

どうなるかわからないけど、自分で握って考え込むことをやめた。

思わないことや考えないことは難しいので、それが始まった瞬間、神に渡す。

その訓練を日々与えられ、実践を積み重ねている。

すると、楽になった。

だって神がすべてを受け取って導いてくださるのだから、わたしには安心と平安があるわけで。

でもそれらに対する神の答えを知るのは、時に待つこと。

そしてそこには信仰が必要であることを学ぶ。

偉大な神様が、すべてのものの上におられる神様が与えてくださる最高のものを、心から信じて待つこと。

必要以上の行動はしないで。信じて委ねること。

神と共に歩むということはこういうことなのか。

日々本当に多くのことを神に渡していない自分を知ると同時に、与えられている日々のすべてで私は神を体験し、神と共に歩むことができるのだと知る。

神を体験するのか、自分で思いたいことを思いたいだけ思うのか。

それを選ぶのは自分。毎日、毎秒、その選択が与えられている。

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