毎月家庭として捧げる献金について。
家計の管理を任せられている私は、家計を見ながら「これくらいなら捧げても(家計は)大丈夫だろう」。もっと正直に言ってしまうなら、「これくらいなら捧げても自分が(好きなだけ)使える分は残るだろう」。
そんな考えのもとで捧げる分を決めていた。
でもそれは、信仰によるものなのだろうか。
ある時夫婦でそれを話す機会が与えられた。
そして、“信仰によって捧げたい分を決めよう。まずは1ヶ月。神によって満たされることを体験してみよう”ということになった。
1ヶ月後の結果は。
何一つ家計が不足することはなく、驚くほどに、ある意味全く変化がなかった。
私は、あればある分だけ、お金を使い切れてしまう人間である。いくらでも、いつでも欲しいものがあって、自分でもおそろしい。
でも今は家庭があって、神に捧げることを夫婦で考えることができる。
夫と「どれだけ神に捧げようか」と話し合うタイミングが度々与えられる。
いつも変わらないのは「喜んで捧げられる分だけを捧げよう」ということ。
これからもそれを大切に、捧げられる喜びを味わっていこう。
そして、自分が支配しがちな家計を、神に与えられた物として大切に神に捧げ、神によって満たされることを体験していこう。