職場である方がこう言った。
「俺は、奥さんに家事や身の回りのことをやってもらうのが、当たり前だと思っている。だから、感謝なんてしたことないし、しないよ。」
「サイテーですね!」気付いた時には私の口からこの一言が出ていた。「やべ。失礼なこと言ってしまった」と思いながらも、「さすがの(上から目線で傲慢な)私でも、夫への感謝をそれなりにしていますよ」と偉そうに続けた。
でもすぐに「いや、私にも彼と同じような考えがあるな」と思わされ、自分の考えを調べ始めた。
自分が感謝できる時はどういう時か。
「神が与えてくださった」その視点がある時。
自分が感謝できない時はどういう時か。
「もらって当たり前」その考えの中にある時。
それがよくわかった。
そして、私にあるすべてのものが神によって与えられていることを思い起こし、感謝で溢れた。
この方との会話も、その中で神に目を向けることができたのも、神が与えてくださったチャンスだった。
何よりも今回、最も感謝を覚えたのは、この
「与えられている」という視点さえも、私から出たものではなく、神から与えられているものであるとわかったこと。
神を知っている人は、いつでも、どんな状況の中でも、感謝できるのだ。