このブログを書くときというのは、神の言葉を学び、それによって解放を味わい、前に進めた時。気づいたらずいぶんと久しぶりの更新になってしまった。
最近の私は、みことばを聞いても、それをただの知識として受け取るだけで、「わかった」という感想が多かったり、自分の体験を通してみことばを解釈したりしてしまって、神が自分に何を示しておられるのか、それを受け取れずにいた。「今日はこれが示されたから、これを実行していきます!」という決断がないことが、頻発していたのである。
そういう時もあるんだな、と思ってやり過ごしてきたけれど、最近の学びの時間でもまた、その現象が起きたので、正直にあらわした。前進を求めて。
そして、問題が何か、わかった。 神はみことばを通して、私に人格を変えるチャンスをくださる。それなのに、私はそれを耳にしているだけで受け取らず、「このままの自分で行きます」と言っていることになるのだと。
それを教えられたあとに、1人静まり、悔い改めの祈りをした。そして、「神が人格を変えるチャンスをくださる」という新たな視点を持って、一週間を始めた。
特に問題が沢山起きた、いや、起こした一週間で、早速実践の場が連続して与えられた。そして、神が示している私の変えるべきところを受け取り、向きを変えることができた。
日々色んなことが起こる。どうして自分はこんなにも変なのだろう、と本当に悩んで悲しくなる時がある。でも、すべての出来事を通して、神様は、私に変えるべきところを示してくださっているのだとわかれば、たとえ痛みや恥を感じる瞬間があっても、希望を持ってそれを乗り越えられる。その先には、解放があるから。
私にあってなら、本当に弱いし、いくらでも不安になれる。だからこそ、神の前に静まり、正直に祈り、それによって満たされ、今日を歩む。これが、キリストによって生かされている人に与えられている恵みだ。
これらのことを今回体験し、神の偉大さにいつも包まれていることを本当に感謝した。しかし、今回できたからといってほっとするのではなく、これからも、いつも働かれる神にいつも応答ができるよう、祈りを始めた。