この1節で、ものすごく恵まれた。
何度も読んだことのある箇所。だけれど、はじめて、感動を覚えた。
そして、心に大きな平安を感じた。
“自分はどこから来て、どこへ行くのか。”
そんなこと、考えたことがなかった。
気付いたら沢山の神体験をして、「神の栄光をあらわす存在になりたい」とよく口にするようになって、「生きている?」と聞かれて「(神に)生かされている!」と、知識で返答したり。何というのだろう。ふわっと、感覚的に、生きている様な感じだった(と今はわかる)。
それが、この創世記1章1節「初めに、神が天と地を創造した。」によって、自分の始まりがここにあることを知った。
“神がつくられた世界に、神によってつくられた私が、神によって生かされている。”
ふわっと、感覚的だったものが、“理性的に”すとんと、自分の中に落ちていくのがわかった。
感情的人間の代表である私に、こうして理性を感じるのは、聖霊の働きに他ならない。
「自分のしたいことが強い」とよく言われる。全くもう、アーメンだ。
自分の思い通りに状況が進まないこと。それが人生の中で最もストレスを感じる瞬間かもしれない。
しかしこのみことばによって、「神が敷いたレールの上を歩くように、神の計画を知ること、それに従うことに、努力を注げばいいのだ」と思った(もちろん聖霊の助けによって)。だって、“神がつくられた世界に、神によってつくられた私が、神によって生かされている”のだから。
とは言っても、それは簡単なことではなく、「自分のしたいこと」はまだまだ沢山あって、ストレスを感じることはあまりに多い。しかし、どこにいても、何をしていても、なくならないこの平安。自分の始まりを思い出せるようになったことは、なんという幸いだろう!
「初めに、神が天と地を創造した。」
創造の神に、すべての栄光をお帰しします。