ずっとサボっていた散歩を、久しぶりに再開したこの朝。
少し歩いただけで、出会いはすぐに与えられた。
早朝であっても、寝起きでも、どんな時でも、街の人と関わる機会をくださる主に感謝した。
久しぶりに会う男性だった。
わたしたちの目の前にあった、昨夜の強風で折れてしまった桜をきっかけに、話す時間が少し与えられた。
いつものように色々なことをたずねる。体調や、最近のことなど。
話しながらすぐに気づかされた。
「いつもと同じ会話のパターンだ」と。
それと同時に明確に教えられたことは、この会話の最後まで御霊に導かれ続けること、これがわたしに必要なことだということ。
気づかされたその瞬間から、御霊にハンドルを委ねる自分の変化がよくわかった。
前面に出ていた「自分」というものが、スーっと後ろに引いていく感覚。
それはつまり、これまで会話のハンドルが自分になっていた、ということである。
話す動機は神にある。きっかけも神がくださる。
そして、質問をすることも主がくださっているから、そのゆえに、話も展開していく。
だけれど、いつも同じところまでしか会話が達しなくて、どうして次の一歩がないのだろうと感じていた。
その一歩を主に願っていた。
それで今朝、主が体験をもって教えてくださったのが、会話の最初から最後まで、御霊に導かれ続けること、だった。
でもこのことは、今初めて知ることではなく、何度も教えられてきたこと。
最近も、励ましと共に教えられていたばかりだった。
「知っていたのに。。」
そう落ち込みかけたと同時に、わたしに何度も、何度も教え続け、わかったと思い込んでいるその知識が信仰体験となるまで、働き続けてくださる主の優しさ、あわれみに深く感謝をおぼえた。
今日の1日も、この偉大な神と共に歩める幸いにハレルヤ。
