「神の愛で愛する」
ことを日々教えられている。
それを祈り、実践を考えてみると、まず自分の愛し方に出会う。
御霊は、多くのことを気づかせてくださった。
その中で最も気付かされたことは、
「こちらの考えや正義の中に、そちらが入ってくるなら、こうやって愛するよ。」
という自分の形だった。
愛する、と見せかけながらも、実はそれは、こちらのやり方や「普通はこうである」とか、
みんなこうしているから、とか。
それらの正義や正しさで、人を愛する。
自分の愛し方に相手を引っ張ってきている、そんな感じを覚えた。
絶対に自分を変えない。自分のやり方や考え方は変えないけれど、こういう形だったら愛するよ、と。
でも教えられていることは、神の愛によって愛すること。
そしてその愛は自由であり、制限や決まった方法がないということだ。
気付かされたことをもって、今一度向きを変え、神の愛で愛することを考えてみた。
そして1つ実践が与えられた。その次もまた、すぐに与えられた。
御霊の導きに委ねるなら、愛するチャンスはいくらでもあることを教えられる。
どうしたって人を愛せない日は、愛することを教えてくださいと祈った。
すると、愛することへ導かれる。
その人のために祈りがうまれ、祝福を願うまでに。
愛の源、主の深さを知る。
神は愛である。
昔からたくさん聞いてきたこの真理が、今自分の中に深く深くおちていく。
UnsplashのEmmanuel Phaetonが撮影した写真