南足柄 クリスチャン 20代 二児の母 日々のレポート
与えられているもののゆえに
与えられているもののゆえに

与えられているもののゆえに

先日、兄に洋服をプレゼントするため買い物へ行った。

私にとって、それは勇気のいる決断であった。
彼の存在を思う度、「誰かが彼のために何かをしてくれたらいいのに」「誰かが友となってくれたらいいのに」。いつもそう思っていたから。兄妹である自分じゃない方がいいと思っていたから。

でも、神に祈る中で、私自身が彼のためにできることがあるとわかり、それをするべきだということも教えられた。

今回は、素敵な服をプレゼントしようと決めた。
私にセンスはないけれど、センスの良い夫に協力してもらえれば、私も良いか悪いかぐらいは言って一緒に選べる。買い物へ行くための車もあるし、運転もできる。プレゼントができる経済もある。そして、私も服を選んでもらったという体験がある。

できる理由が揃っていた。

結果は、値段を確認せずにレジへ行って、オドロキのお買い物となったが、素敵なものが与えられた。彼がこの服を着るとき、キリストを感じられるように。そう祈って終わった。
兄はその日を喜んで帰って行った。

神から与えられているもののゆえに、この体験は生まれた。
自分が受けたものを人に流すとき、その源は神だから、自分を誇る点は何一つなく、
自分が受けたものを人に流すとき、自分が日々どれほど神から恵みを受けているのかを知る。

与えられているもののゆえに。
私にはできることが沢山ある。

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