仕事の中で、1つチャレンジをしたいと思うことがずっとあった。
よりコミュニケーションを深めるためのアイディアだった。
でも、これまでの形があったから、それを変更することで、変化に弱い人は嫌がるのではないかと思っていた。(自分も変化に弱いくせに図々しいけど。)
過去にそういう体験もあったから。
でも、変更したい理由は明確であり、するべきことだともわかっていたから、とても勇気を出して、今日はこれをチャレンジしようと朝決めた。結果はやってみたらわかるだろうと。
夫に祈ってもらった。彼はその中で、変化を体験する相手のことも祈った。そうか、私は自分だけの祈りしかなかったけれど、相手にも神が働かれることを祈れるのか。私は強められ、その日チャレンジをすることができた。
結果、相手の方は喜んでくれた。コミュニケーションもスムーズになった。変更の影響を受ける周りの人も、私が説明し終わる前にすでに理解があり、むしろその方が良いよね、と言ってくれた。
祈りが増えたと思っていた矢先、祈るよりも前に、自分の過去の体験やあれこれ思うことで、前進がないことがまだまだ多くあることを知った。もう大丈夫、とほっとしている場合では、本当にない。
夫が、チームで神を体験したい。まずは夫婦でそれをしたい、と言い出した。
こういうことだと思った。
今日チャレンジしようと思うことをあらわし、祈ってもらい、その日の夜、結果を共有する。すると、共に喜びがある。あるいはさらに祈りが続く。
チャレンジと祈りがいつも一緒にあるなら、強められ、進める。