南足柄 クリスチャン 20代 二児の母 日々のレポート
キリストにある生活に(そして)
キリストにある生活に(そして)

キリストにある生活に(そして)

キリストにある生活を送る、と決めたのは、そのように、自分の限界を見せられたことが一つ。もう一つは、私を癒しだといってくれる夫の存在と、息子の毎日確実に成長していく姿を見て、「自分はいったい、いつまでわがままを押し通して生きていくのか」と、全然成長していない自分の姿に気付かされ、悔い改めたから。

そして、生活が変わっていった。
(1)「やりたくない」と思って逃げていたことを始めてみた。
・朝起きて夫を見送る。
・散歩に出かける。
・息子の生活リズムをつくる。
 
(2)「やりたいこと」を少し我慢し始めた。
・やたら出かけること。
・やたら何かを買うこと。
 
(3)そして、新たに始めたこと。
・家計を大切に管理するために、家計簿をちゃんとつける。

つまり、わがまま放題にやっていた部分を見直し、そこから離れ、向きを変えてみたということ。変えるべきことはすでに沢山示されていて、わかりやすかった。

これらにチャレンジし始めたことで、分かったことがある。
(1)自分は何に満たされているか、または、満たされようとしているか。
 それは、「出かけること」や「買うこと」で。でも、神によって、神の言葉によって満たされると、それらの欲で自分を満たそうとする弱さに気づき、一度立ち止まり、本当にそれが必要なのか、祈り、その答えを待てるようになってきた。本当に自分を満たすのは、神だ。

(2)支えるべき夫がいた。
 まだ朝の6時。どんなに不機嫌に私が起床しても、とても嬉しそうにしている。神にあって妻を喜び、いつも愛してくれる夫を、支えていく役割を思い出した。

(3)優先順位
 「自分のやりたいこと」は、あくまでやりたいことであって、「やるべきこと」とは違う。今の私には、妻という役割、母という役割が与えられていて、それがまだ与えられていなかった時と同じようにいるのはおかしい。神から与えられている役割のゆえに、「やるべきこと」をまずはやるのだ。




もう少し続く。