新車を買った。今までより大きなものを。
これまで、家を買った時や車を買った時。
「買ったんだってねー!」と色んな人に声をかけられた。普段全然話すこともないような人にまで、この話題は届いた。こういう買い物は、人の興味を引くものなのだと知った。
だからこそ、今回も車を買うとき、それが神にある決断か、証となるか、よく祈り考えさせられた。ただ“車を買ったんだってね”というニュースで終わらないように。
買うまでの一週間、夫婦で祈り、またそれぞれが神に祈った。でも、夫も私も「買うべきだ」「買うべきでない」そのどちらに対しても確信を持つには至らなかった。買っても、買わなくても、どっちでも良い話だね、と。
じゃあ、どうしようか。すると夫は「より豊かになる方を選ぼう」と言った。また、今買って、家計的には支払いができるのか、財務大臣である私に判断を任せた。そして私は「できる!というかやる!」そう言って、買うに至った。
一週間祈る中で、(まだ誰も言っていないのに)人の言葉が聞こえてくる。「まだ買って1年しか経ってない今の車を乗りつぶしてからにするべきだ」「今の車で十分でしょう」とか。あるいは買った後、周りの人の肯定的な反応を見ると、「ああ買って正解だったんだ」と安心する自分がいた。
でも、夫婦で神に祈り、神によって決断し、その道がゆるされた。それが買う動機じゃだめか。人に肯定されたから神の御心だったのか。人に否定されていたら神の御心じゃなかったのか。私は人の反応で神を見るのか。
人の反応に弱い自分をまた知る。
でも、神との間で決めたことなら、確信を持って進め!そう御霊を通して教えられた。次に何か決断をする瞬間が来たら、私はこれによって大胆に進もう。