礼拝でかたられたみことば。
今日聞いてどうだったかと聞かれ、
受け取ったことをあらわすと、
みことばじゃ満足しないんだね
と言われた。
そんなつもりじゃなかったのに、と思いつつも、
その言葉が自分の心にいつまでもひっかかる。
帰ってきて考えの整理を手伝ってもらう中、
もしそうじゃないなら、そうじゃないと言えばいいのに。
と言われた。たしかに。ひっかかるということは、何かしら見せられていることがあるということだ。
そして、わたしが受け取ってあらわしたことは、“みことばの解釈だった”ということを教えられた。
決して解釈が悪いわけではない。でも、みことばそのものを味わうことが重要であるということを。
聞きやすい解釈にばかりいってしまう自分。
せっかく力を受けるために行ったのに、最後の一言でとどめをさされ、落ち込んで帰る。
でも、わたしの人生は、日々新しくされていく。
これもその過程の一つであることを神様は教えてくださった。
何事もなく、考えさせられることもなく、気付かされることもなく、何の痛みもなく今日を終える、という計画が自分にあったことも見せられた。
自分の計画は、あまりにも強く、そうでないものを受け入れられない自分自身をまた知る。
みことばを、そのまま受け取れますように。それをただ信じて行う者とさせてください。
自分に必要なことを見せられ、祈らされた。