またその日も深く考える日だった。
どうしてそうなのだろう
なぜそうなるのだろう
そうやって、見るもの全てが気になる。
どうにかこの状態から脱出したいが、どう祈っていいのかもわからず、まずはそれを祈る。
目の前にいる人にすぐに話したくなってしまうが、解決は神にあることを知る。
たくさん神と話し、夜の祈りの時を迎えた。
エレミヤ46:1-12
このみことばから、貪欲 ということが教えられた。
周りを支配する性質(貪欲)があるなら、それは神の教えとは反するものであるということ。
人を変えたいということ、人を自分の思うようにしたいこと、それは貪欲であり罪であること。
そうか、わたしはいつもここにいたのか。
それが罪であることをはっきりと教えられた。
そして、ここから離れさせてください。
支配者でなく、ふさわしいリーダーに、謙遜なリーダーにならせてください。
導かれるままに、すぐに祈り始めた。
祈りを始めてから、この性質が出てくるとすぐに気づき、すぐに神のところへ持っていけるようになった。
人のあれこれが気になってしまい、それを変えたくなってしまう事実はまだあるけれど、それはわたしのすることではなく、してはならないことを受け取ったから。
その貪欲さがきたらすぐに神の元へ。また来たらすぐに神の元へ。
という作業ができる。
ひたすらそれを繰り返す。
解放された。
貪欲さによる思考と独自の哲学で心を占めることから、それを神様のもとへ持って行くだけになった。
心は軽く、平安に満ちる。
神に話し、神から、神ご自身の言葉を通していただくその導きとこたえのすばらしさを味わう夜だった。
主は素晴らしい。