毎日、人を通して様々なことを教えられる。
そして、人の言葉にとても影響を受けやすいわたしがいる。
たとえその人の言葉が、神様の教えにまったくないことでも。
ましてやそれが尊敬する人や憧れる人、普段関わりのある人だとなおさら。
先日もそんなことがあった。
大体、(わたしの気分がいい時だけ)その日の出来事を疲れて帰ってきた夫に、ぶわぁっと話す。
せっかく同情や共感を求めて妻が(一生懸命)話しているのに、夫は相変わらずそんなことは微塵もしてくれず、神の言葉にあるかどうか、それだけでしか話さない。
だからこそ、夫との会話にはいつも安心感がある、ということでもあるが。
その一方で、自分には神の言葉による見極めができないことに、いつも悲しさも覚える。
でも今回、私にもそれができるように求めていけば良いことを教えられ、祈りを始めていた。
「いつか遠い将来でそれができるようになるのだろう」と漠然と思いながら。
しかし神様は、すぐに知恵をくださった。
「その考え(言葉)はどこからきているのか」。
その一言を聞くことで、それが可能になるということを。
この実践は、たとえ神の言葉をよく知っている相手であろうと、安心感がある夫であろうと、大切に聞くべき時もあるのだと教えられた。
今日からこれをはじめてみる。
またその実践の結果も、ここに書きたいと思う。
……
「その考え(言葉)はどこからきているのか」。
この知恵も、人を通して教えられたことだった。
でも、祈っていたことだったから、これが神からの知恵であることが、あまりにもよくわかった。
祈りの力と、御霊の確かなる働きを深く味わった。
もっと祈りたくなった。いや、事実、この瞬間からまた祈りが増えた。